2014年5月7日「ギャーギャーギャー第2回公演『つみぎ』追加公演」

 
 
 
3月に観に行ったN谷集落の再演で演劇への熱が復活してからずっとにらんでいた、ギャーギャーギャーの公演。
 
前回の公演はN谷再演の翌日ということで、まだその存在をぎりぎり知りませんでした。
なので、この追加公演がギャーギャーギャー初参戦!
 
絶対に好きなタイプの舞台だと踏んでいたので、チケットを買った時点で鼻血が出そうなくらい興奮していました←
 
 
 
 
 
相変わらず順序立ててストーリーを書き起こすのが苦手なので、個人的に気になった様々な箇所に断片的に書き連ねていきます。
 
 
 
基本的に「ですます調」の部分は個人的な見解を記していると思って読んで頂ければ幸いです。
 
 
 
 
 
 
 
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すみません、もう一度注釈(ていうか言い訳)
 
 
 
順序立てたストーリーにはなっていません。
 
 
 
エピソードの大まかな部分をお伝え出来るか、出来ないか程度の記述です。
 
 
 
またストーリーやキャラクターについての見解は、あくまで私個人が勝手にそう解釈したものですので、実際とは大きく異なることも多々あり得ます(特に「ですます調」の文章)。
 
 
 
 
 
読みづらい文章ですが、最後までお読みいただけたら幸いです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【キャスティング
宮田権三(ごんぞう) 宮田家の家長で、以下の三兄弟の父。
→守谷日和さん
 
宮田正一(せいいち) 宮田家の長男。誕生日を迎えると二十歳になる。
→山名さん
 
宮田正二(せいじ) 宮田家の次男。誕生日を迎えると十九歳になる。
→帽子屋・お松さん
 
宮田正三(せいぞう) 宮田家の三男。誕生日を迎えると十八歳になる。
→ナターシャさん
 
貴子(あつこ) 宮田家に嫁いできた村の女。誕生日を迎えたので四十三歳になった。
→近藤さん
 
 
 
 
 
とある小さな村で「宮田家」は代々、村の人々から“村における神のような存在”としての扱いを受けてきた。
宮田家の人間がその偉大さを自ら公言しても、それを誰も疑わない、最も偉く絶対的な家系である。
 
(どうしても漢字が分からなかったのですが)「ろっけばらい」という、宮田家が村を練り歩き、村民はその間頭を下げている、儀式的なものも行われていました。
父親と兄が村民に見せる所謂“偉そう”な態度を見て、顔に疑問の色を浮かべているのは、今回初めて儀式に参加した宮田家の三男・正三。
儀式の勝手をイマイチ理解しておらず、村民の手を握り「頑張ってくださいね」と励ましの声をかける。
それを見て「俺たちは偉いからこれでいいんだ」と次男・正二が止めに入る。
 
…このシーン、正三を演じるナターシャさんが、突然舞台から客席に下りてきてびっくりました。
まさに目の前に下りて来たかと思ったら、差し出されるナターシャさんの右手。
反射的にこちらも右手を差し出すとその手を握られ、「頑張ってくださいね」と一言いただきました。村民になれました。
…話を戻します。
 
村で絶対的・神的な存在である宮田家は、三兄弟の長男・正一が二十歳を迎える年に、三兄弟の嫁として村の娘を迎え入れた。
三兄弟に与えられた嫁はひとり。名前は貴子。
宮田家に嫁ぐことは村民にとって名誉なことであり、貴子の両親は喜んで娘を送り出した様子。
しかし宮田家に嫁ぐ女はそれまでの私物を全て処分しなければならない、外部との接触は許されない、などの掟が定められていたりと、本人にとっては決して喜ばしいことではないようにも感じられる。
 
貴子の嫁入りの儀式が済んだ後、家長の権三は突然自らの引退を宣言する。
そして新たな家長を、三兄弟の中から決めると。
兄弟の中なら長男である正一兄さんしかいない、ふさわしいと騒ぐ正二・正三と、その言葉に満更でもなさそうな正一。
しかし権三は、その決定権は嫁・貴子にあると言う。
三兄弟はもちろん貴子本人も戸惑いを隠せない中、権三はその手段として12枚の積み木(つみぎ)を取り出す。
 
・積み木はひとりにつき4枚与えられ、1枚でも失えばその者は家長になる権利を失う
・嫁を「良い」と思ったら積み木を神棚に積むこと
・その積み木が10枚積まれると、嫁は「わがまま」をひとつ言うことが出来る
 
この「つみぎ」のしきたりが、三兄弟と貴子を宮田家という小さな環境の中で翻弄することになるのです。
 
 
劇中で積み木が10積まれたのは、計6回。
最初に10積まれたのは貴子が嫁いできて1週間と少し経ったころ。
権三「ひとことー!」
三兄弟が固唾を飲んで見守る中、貴子が提示したわがままは「ゆっくり寝かせてください」であった。
 
2度目に10積まれたのは、その直後。
正一と正二の意地の張り合いの結果、10の積み木を手にしてしまった正三。
しかし「積み木を一枚でも失った者は家長になる権利を失う」というルールを思い出した兄たちに散々責めてたてられ、正三はそれらすべてを神棚へ。
権三「ふたことー!」
2度目からは同時にふたつもわがままを言うことが出来るのかと驚く正二に、「ふたこと“目”」の意味であると説明を加える権三。
 
…これすごい違和感あったんです。
「ふたこと」って言葉選び。
なにかしらの規則や規定などを改まった文書にする際は、「一つ、○○」「一つ、○○」って表記するのが一般的だから、なぜ数字を増やしていく必要があるのかと。
 
三度目のわがまま「みごと」で貴子は豹変する。
正三と共に村の外へ逃げ出そうとした貴子に手を上げた権三には、強烈なビンタを。
好意と褒美の気持ちで貴子に砂糖を舐めさせていた正一には、床に落ちた砂糖を舐めろと。
意味もなく呼びつけて家中を走り回らせた正二には、そこらへんを走ってこいと。
しかし、正三には何も言いつけようとしない貴子。
「何枚積んだの」貴子の問いに、正直者の正三は「8枚」と答える。
一人つきに4枚しか与えられていないはずの積み木。
正三は、事前に正一が神棚に積んでいた4枚を自らの懐に隠していたのだった。
 
自分の積み木がなくなり家長権を失うことを恐れていた正一はその事実を知り、正三を責め立てる。
しかしその衝動的な言動で、正一は自分が積み木を失くしていたことを父・権三に知られることとなる。
正一に、家長権が失われたことを告げる権三。その口調に同情などは見えない。
「残念だったな」とその事実を伝え、必死で積み木を抱える正一からそれら全てを静かに取り上げた。
泣き崩れる正一。
そこに戻ってきたのは先ほどの貴子に言われて家中を走り回っていた正二。
兄の泣き崩れる姿に状況を把握できずにいたが、貴子に命令され自らの積み木を神棚へ置く。
 
4度目のわがまま「しごと」が成立した。
貴子「正一さん。死んでください」
 
「ひとこと」「ふたこと」「みごと」「しごと」。嫁の「しごと」
 
貴子の母は、嫁入りする娘に手紙を託していた。
『嫁の「死事(しごと)」を全うしてきなさい』
宮田家の嫁の仕事(しごと)は、新たな家長を選ぶこと。
そしてその決め方は、『消去法』である。
宮田家の嫁には、家長に相応しくないと判断した者に死を言い渡す「死事」が与えられていたのだ。
貴子がそのことに気づいたのは、「ひとこと」から「ふたこと」へ変わったとき。
手紙を読んだ当初、“死事”という表記は無学な母の書き損じだと思っていたが、それら全てにも合点がいく。
 
元より聞き分けがよく規則などに従う態度を見せていた貴子でしたが、外出に関して権三に強く咎められた後に見せた、異様とも思える完全服従の態度の理由が、ここで納得が出来てすっきりしました。
その時点で「死事」をすでに悟っていたからなのか、と。
 
 
そして最初に死事を受けた、長男の正一。
「宮田家では、積める木をなくした者は死んだも同然の扱いを受ける」
そう貴子に洩らしていたのは、自らが神棚に積んだはずの積み木の行方が不明になり、必死で探しまわっていた正一本人。
貴子「……つまらない男…?」
宮田家で“積まらない男”は死んだも同然。死を言い渡される。
全力で抵抗を見せる正一。
宮田家の長男で、家柄やその思想に最も寄り添ってきた男。
父を尊敬し、自らが家長になるのだと強く信じ、そうなりたいと願い続けてきた。
さらに貴子に惚れこみ心から愛していた正一は、3兄弟の中でも最も家長になることを望んでいたと言える。
 
正一は物語序盤では、兄弟の中で最も冷静沈着で感情的な面をあまり見せていませんでした。
家柄と村での地位に疑問を持つことなく、また長男である自分が宮田家の家長になるであろうと信じていたからなのかなあと思います。
しかし物語が進むにつれて、家長になりたいという気持ちと貴子を愛する執念が募り、それらの感情をどんどん表に出すようになります。
冷静沈着で兄弟からも厚い信頼のあった長男は、まるで駄々を捏ねる子どものようになっていくのです。
その赤ちゃん返りのような現象がもたらすギャップと違和感が、見ている側にも伝わってきて“気色悪い”と思えるほどでした。
決して貶しているわけではなく、そう思わせる術(すべ)を持っている山名さんがすごいと思いました。
元々落ち着きがあり時には圧を感じさせるようなお顔立ちの山名さんは、序盤で冷静沈着な振る舞いを見せる長男・正一からはまり役だと感じていました。
だからこそ、そのイメージを崩壊させる感情を剥き出しにした山名さんの表情作りは、客席から見ていても怖かったです。
「家長になりたい」「貴子を自分のものにしたい」という執念が積もり積もって必死になる正一の姿から覚える“嫌悪感”と、思わぬところでつまずき家長権を失うどころか殺される結果となってしまった正一への“同情の念”がごちゃまぜになって、舞台上の誰に同一化したいいのか分からず脳が混乱しました。
 
つみぎの世界には、全面的に同情・同一化できる人物がいません。
 
次男・正二は考えが安直で、己の信念をも把握出来ていない、思慮の浅い人間である。
積み木の存在を知るまでは、次に家長になるのは長男の正一兄さんだと手放しで喜んでいたのにも関わらず、自分にもチャンスがあると知った途端にその座を手に入れようと動き始める。
しかしその言動に一貫性はなく、ほんの一瞬でも自分が不利な立場になりそうになると、後先も考えずにその場しのぎのウソを言っては、結果的に有意に立てずにいるような情けない男なのだ。
嫁にやって来た貴子のこともお手伝いさん程度にしか思っておらず、意味もなく呼びつけては家中を走り回らせていた。
「みごと」で貴子が豹変してからはその言いなりで、常に貴子の顔色を窺ってはへりくだる態度を取るようになる。
そして正二は、2度目の「しごと」で貴子に名を呼ばれ、その存在を消されることなる。
 
上記のように正二は2度目の「しごと」で殺されてしまうのですが、後の権三と正三の会話から、これといった抵抗はしなかったそうです。
宮田家の掟とはいえども、自分が殺されそうになっているのにあっさりと従うとは…。
人が平均的に持っているはずの依存・執着の念に欠ける人物だったのかなあ、と考えています。
生まれたころから村での地位が決まっていて、上には兄がいるので日ごろ何かプレッシャーや責任を負う必要性も感じることなく18年間生きてきた。
たとえそれが自分の命であっても、「人に言われたからそうする」のが彼の人生における軸だったのかもしれないです。
そう考えると一番気の毒な生き方してきたなあ…本人がそれに気づけないままだったのがなおさら気の毒。なむなむ。
 
三兄弟の末っ子、正三は、外の世界へ憧れを持っていた。
自分たちの家系が“偉い”ことにも疑問を抱いており、宮田家の中で最もその思考に染まっていない人物である。
宮田家の外、村での暮らしについて知りたがった正三は貴子の部屋へ出向き、夜通しふたりきりで会話を楽しんでいた。
家長へなることへの欲を持たず、性的な期待も寄せてこない正三に、貴子は好感を持ったようであった。
 
正三は嘘をつきません。思ったことをそのまま口にします。
その正直な発言は時に正三自身を有利にさせたり、貴子を傷つけたり、兄弟たちに混乱を招くこととなります。
 
「ふたこと」からしばらく経ったとき、正三と貴子は村の外へ出ようと、宮田家を逃げ出す。
村を出る前に「両親に会いたい」と言った貴子は望み通り実家に一旦戻り両親と対面を果たしたが、大ゲンカをしたらしく、すぐに正三の元へ戻ってきた。
宮田家に嫁いだ娘が帰ってくることは、許容されることではないのである。
それでもさっぱりした表情の貴子を連れて、正三は村を囲う柵に辿りつく。
そこには、触れると電気の流れる有刺鉄線が張り巡らされ、村から一歩も出られないようになっていた。
何度試しても鉄線が邪魔で外に出られないことを理解した正三は、貴子に「貴子は両親に会えたから一応望みは叶ったけど、僕の望みはまだ叶っていないから」とせめて自分だけが外に出るためにどうすべきかの手段を提案し始める。
 
これまで貴子にとって唯一の理解者で味方であったはずの正三の、本来持っていた異常性がちらついた瞬間でした。
もちろん正三に悪意はありません。
自分が成し遂げたいと願うことを達成するために、最もふさわしいと思う手段を選んだだけなのです。
直後に貴子は「わかりました」と鉄線へ向かうためか身構えるのですが、このとき貴子が正三に向ける視線がすさまじいパワーを持っていて。
無自覚なまま酷い提案をしてきた正三に、飽きれのような悔しさのような…
貴子にとって、宮田家に嫁いでから唯一希望の光であった正三ですらも、結局は自分の救いにはなりえないことを悟ったことへの絶望のような。
近藤さんの目の演技には脱帽です。
 
直後に二人は権三に見つかり、貴子だけがきつく咎められることとなる。
そして先述した「みごと」「しごと」のシーンへつながります。順番バラバラですみません。
 
兄・正一の死をもって「家長になれないものは死ぬ」ことを知った正三は、自分が“家長になる(生き延びる)=貴子に選ばれる”ために、貴子にとって自分が必要な存在になろうと知恵を絞る。
そして正三が考え出した最もな手段は『貴子に自分の子を孕ませる』であった。
非人道的な手段で貴子を孕ませた正三は、貴子の妊娠を心の底から喜んでいた。
そこに貴子の傷ついた心思う気持ちはない。しかし、悪意もない。
これらの事の成り行きを見ていた正二はすでに神経をすり減らしてた様子で、10になるよう積み木を積めと正三に強く迫る。
自分が有利だと信じて疑わない正三は確信を持って積み木を神棚へ積み上げる。
そして2度目のしごとの犠牲になったのは、次男・正二であった。
 
貴子がなぜ、無理やり孕まされ恨んでいるはずの正三を、家長として選んだのか、ずっと考えています。
死ぬことで、ある意味で正三が宮田家から解放されるのを阻止したのでしょうか。
村の外へ出て行くことを夢見ていた正三を、家長として宮田家に縛りつけることでそれを復讐としたのでしょうか。
同時に、正二が家長になる可能性とルートを考えていたのですが、正二に同一化して考えたときに、兄は失態をして殺され、弟は非人道的な手段に出てもそこに罪の意識はない。
正二もかなり精神的に追い詰められていて、案外、正二にとってはこの結果が最も幸せであったのかもしれないなあとも思いました。
だから殺される時も抵抗しなかったのか…?
正二について、前述した内容と矛盾しているのは自覚していますが、それくらい今も混乱しています。
 
家長になり子も生まれた正三は、権三との会話から察するに、兄が二人死んだことをさほど重大には受け止めていないようでした。
「決まりなのだからそうなって当たり前」そう思っていたように感じます。
物語序盤では、外の世界に興味を持ち、自分たちは本当に偉いのかと疑問を抱いていた正三は、家長争いの中で完全に宮田家の思想に染まってしまったのでしょうか。
そうするしか生き延びる術(すべ)がないと察して、無意識的にそれまでの思考をシャットダウンしてしまったようにも考えられます。
正三は、人の気持ちを考えることが出来ない人間だと思います。
相手の立場・目線になって寄り添ったり気遣ったりといったことが出来ない。
ただ自分が「そうしたい」と思っていることを達成するために最も確実で手っ取り早い手段をとっていくだけ。
「争いごとを避けたい」「外の世界を知りたい」といった正三の当初の思想は、一見するとごく一般的で、貴子が心惹かれ希望を抱くのも納得が出来ます。
観客も貴子と同じように、正三に最も人間味を感じていたのではないでしょうか。
しかしいざ蓋を開けてみると、無自覚に人を傷つけ最終的には非人道的な手段にも手を出す、最も罪深い人間であったと思います。
無邪気で素直で残酷。しかし無自覚。だから残酷。
これら正三の深層心理を、台本を読んで理解・把握するのは相当大変なことだと思います。
 
その正三が持つ無意識的で無邪気な狂気を、見事に演じ上げたナターシャさん。
正三の心的特徴を観客に匂わせるナターシャさんの目線・所作は、自身にスポットが当たっていない間(会話の外にいるときなど)にも舞台上に張り巡らされていて、その徹底ぶりは今思い出しただけでも惚けてため息が出るほどです。
幕が開いた瞬間から、彼はきっとこの物語において重要な行動・発言・思想を見せるのだろうと期待させられ、それを裏切ることなくさらに予想の遥か上を行かれました。
 
正三の子を産み、死事も終えた貴子は最後のわがままのため積み木を神棚へ10積み上げると、宮田家を出て行くことを権三に伝える。
権三は最初から分かっていたようにあっさり承諾し、引き留めようとはしない。
ただし、「子どもは置いて行け」と。
10の積み木は“嫁自身”のわがままは受け入れられるが、子どもは別なのである。
唯一愛している子どもを置いて自分が自由になるか、子どもと共に生きるために宮田家に残るか。
究極の選択を迫られた貴子は、その場に泣き崩れる。
暗転と同時に、積み木が崩れ落ちる音が鳴り響いた。
 
一度、二度、三度と「しごと」が成立すると、暗転と同時に響く、積み木が崩れる音。
乾いた音が耳に残って、暗転後は鳥肌が止まりませんでした。
 
貴子は子どもの枕もとに手紙を置いて、その姿を消した。
その手紙がどんな内容で、誰に宛てられたものなのかは誰も知らない。
権三が静かに破り捨てたからである。
子どもを置いて消えた貴子に、正三は生まれてから一度も会ったことのない自身の母親を重ねる。
母親のいない我が子。
兄弟のいない父・権三。
それらは今、正三の姿にぴたりと重なる。
父から子へ受け継がれた、家長の座とその生い立ちの真相。
正三が全てを理解したとき、権三はまた事実だけを口にする。
 
「宮田家は積み重ねの一族や。罪を、積み重ねる」
 
しごとが成立するたびに鳴り響いていた積み木の崩れる音は、宮田家がまた新たに罪を重ねたことを意味していたのかもしれません。
3つ目のしごとは一概に罪とは言えませんが、我が子をあの宮田家の置き去りにして自由を選んだ貴子にとってみれば、十分に罪と呼べる行為かと。
 
貴子は精神面においてはいい女だと思います。
宮田家が支配する閉ざされた小さな村で生まれ育ったことが大きく影響しているのでしょうが、とにかく聞き分けがよく、察しもいい。
そしてそのなかにわずかに感じるしたたかさ。
手のかからない“良い子”は、その感情を爆発させたときが恐ろしい。
真相を察し、宮田家の嫁として死事を全うする中で、それまでのフラストレーションを一気に放出する様にはただただ圧倒されました。
なによりまず、近藤さんが女性を演じていることの違和感のなさ!
「つみぎ」の貴子役は、女優さんに演じてもらうのは避けた方がいいのかもしれません。
実際に女性が演じた場合、役者の外見のレベルによって感情移入の度合いが変わってくるのではないかと。
男性の近藤さんが演じることで、美人だとかそうでないといった外見に関する観客のものさしがなくなり、「女である」という事実だけで先入観なく貴子の人格を受け入れることが出来た気がします。
 
そしてここまで触れてこられなかった、三兄弟の父で家長の、権三について。
息子たちが積み木に翻弄されていくのを、顔色ひとつ変えずに見届け、常に決まった事実だけを静かに告げる権三。
 
死事に泣いて抵抗する正一へ向けた「残念だったな」の言い草があまりにも淡白で、なのに声色だけは柔らかくて、ああこの人には情がないのだなあと思い知らされました。
物語の冒頭、初めて嫁を迎え入れることに浮足立つ三兄弟に「自分もそうだった」と発言した時点で、権三には違和感を覚えていました。
“自分も同じだった”というのに、権三の兄弟の存在が全く見えてこなかったからです。
けれど、その言葉は嘘ではありませんでした。
「宮田家は積み重ねの一族」
今回正三がそうなったように、権三には兄弟がいて、村の娘が嫁ぎにやってきて、その嫁の死事を経て兄弟は死に、自身は家長になった。
全てを経験し、またそれが繰り返されると知っている権三は、感情を見せないのではなく、見せるような感情すらすでに持っていないのでしょう。
貴子が身ごもった正三の子の性別を、さも当然のように「男だろ」と言い切ったもまた不思議な恐ろしさがありました。
たった5音に守谷さんはどんな念を込めてこのセリフを紡ぎ出したのでしょうか。
 
 
 
ここまでストーリーや設定の解釈、キャラクター・役者に関する見解を好き勝手書いてきましたが、本当にこの作品に関しては、見た人によってその受け止め方が全く変わってくると思います。
一人で考えていても何通りもの解釈が浮かんでは消え、いつまでたっても結論に辿りつくことが出来ません。
誰が悪者で誰が被害者と一言で示すことも難しい。
誰がどうであったか分析するためにここまで細々(こまごま)だらだら書いてきましたが、結局のところ説得力のある結論は見つからずでした。
本当の正解を知っているのは脚本・演出のお松さんのみ…?
ただ、これから先も宮田家、正三は同じことを繰り返すしかないのだろうなあと思うと、鳩尾あたりに重みを感じ、苦しくなりました。
 
帽子屋・お松さんの活動を目にしたのはこれが初めてだったのですが、もっともっとこの方の作品に触れたいと強く思いました。
普段の生活を送る中ではなかなか見ることの出来ない、だけど誰しも必ず持っているであろう人間の苦い部分を、こうも繊細に描かれては好きになる他ありません!
こういうの大好きです!!!
 
OP映像は劇中のセリフなどが高速で流れていったので、本編を観劇したのちに見ることで各シーンが走馬灯のように思い出されるのだろうと思うと、今一度見たくて仕方ない気分になります。
 
今度こそ、この公演をもってギャーギャーギャーを一旦離れるナターシャさん。
本当にすばらしい演技をされる方なのでしばらくそれを生で見ることが出来ないのかと思うとさみしくてなりません。
そもそもポラロイドマガジンに興味を持ったのが、すでに東京行きが決まっていたつい最近で、大阪での活動を目の当りに出来るチャンスが6月末の自主単独のみの予定でした。
なので「つみぎ」追加公演が行われたことで、ナターシャさんの演技を間近で堪能出来てたので本当によかったです。
次回から参加のジソンシン・酒井さんも表現力が大変高い方なので、次の公演がまた楽しみ!
 
 
熱心な芸人さんたちがこだわって作り上げ、死ぬ気で稽古した舞台が面白くないわけがありません。
その高い表現力と舞台上の気迫にどっぷり浸からせていただきました。